理論語と観察語

理論語と観察語

浜 直史

 

科学的なものと非科学的なものとの違いを考えるためには、科学とは何かを突き詰めなくてはいけない。このような題材を「科学的に」考えるのが科学哲学という分野だ。そこでは、科学という考え方の癖や、科学が学校で教えられるほど一般的に「正しい」とされるのが何故かなど、科学についてのあらゆることが一旦疑われている。

 

例えば科学では、直接測ることができない多くのものを使って理論が組み立てられている。エネルギーや重力などは、直接見たり触れたりできるわけではないが、それがあると思うと世界の色々な仕組みが上手く説明できる。このようなものを表す言葉を理論語という。一方、染色体の数、夜空に光る星の位置などの確認できることを表す言葉が観察語だ。現実にないという意味では理論語はオカルトや幽霊などの非科学的なものと同じはずなのに、この理論語で作った理論によって何故か観察語で表わされる現実を正しく予想でき、理論語と観察語がかけ離れていかないというのも科学の特徴だ。重力を使えば、目に見えている惑星の動きが正しく予想できているのだ。

 

これを突き詰めると「そこに何かがあると感じる」という観察語と、「何かがある」という理論語の違いも理解できる。あると感じられる通りにものがあるとは限らないからだ。この違いは目に見えないような電子などが本当に存在しているのかどうかに留まらず、目の前の机などに対してもこの疑問を持つことができる。科学哲学で議論されている問題の一つがこれだ。この違いに気付かず、目の前にあるものの実在を無邪気に信じているとすれば、それは科学を科学する科学哲学の考え方として非科学的と言えるだろう。