名誉教授随想『理学部の原点をふりかえる』

名誉教授随想『理学部の原点をふりかえる』

元生物科学専攻(動物学系)所属・名誉教授 山極 壽一

 
 

京都大学理学部・理学研究科で学び、いったん外へ出て就職してから論文博士を取得した身からすると、ここはやはり世界の先端を歩む光の場所に映る。その後、教員としてもどり、総長として全学を見渡してみると、ここはずいぶん変わった文化を持つ部局に見える。それは、文学部と並び称される虚学の拠点として京都大学の顔になってきたこと、そして学生を研究に巻き込みながら教育をする伝統を持つことである。近頃は「学問が社会に役立つ」ことが求められるが、理学の教員は胸を張って「役に立てようなどと考えていない」と言うだろう。そして、学生が先生と呼んだら、「私は君の先生ではない」と言うだろう。ここでは学生も真理を追究する対等の仲間と考え、間違っても自分の後を追わせないことを伝統としてきた。現代の大学の趨勢にあってはそれがずいぶん特殊な世界だということは知りつつも、この伝統を守ってほしいと思う。それにはやはり「未踏峰を目指す」という気概を忘れてはいけないし、常識から少し距離を置いて世界を見つめ、おもろい発想を仲間と楽しむことを実践しなければいけない。ただ、ひとつだけ苦言を呈せば、理学研究科はこれまで名誉教授をあまり歓迎してこなかった。私は総長として名誉教授の称号を授与したり、名誉教授懇談会を催したりしたときに、「皆さんは京都大学を退職されましたが、学問に定年はありません」と申し上げてきた。現役の教授にとってシニアの存在はうっとうしいかもしれないが、今後の学術の発展には欠かせないものになると思う。これからの知識集約型社会では情報となる知識ではなく、情報にならない知恵と経験がものを言うからである。ゼロから1を生み出す発想はAIにはできない。私が理学研究科長時代に、国立大学理学部長会議でしばしば理学や理学部の存在意義をめぐって議論したが、まだ誰も知らない真理を探し当てることこそが理学の原点だと思う。その行為が明日の世界を拓くのだ。