名誉教授随想『提琴事始』

名誉教授随想『提琴事始』

元数学・数理解析専攻(数学系)所属・名誉教授 上田 哲生

 
 

「退職したら何か趣味を持ったらどう?老化防止には今までにしたことのない新しいことを始めるのがいいそうよ」と家の者が頻りに勧めるのでバイオリンを習い始めることにした。全くの初歩から何かを学ぶというのは久しくなかった体験である。簡単ではないのは予想していたことである。しかしその難しさがどこにあるかは自分で楽器を鳴らしてみてはじめてわかってくる。弓は基本的に直線上を往復運動させればよいのだが、肩と肘と手首と指の関節の回転運動を合成してこの直線運動を実現するには修練が要る。さらに晴れやかな音色あるいは枯れた音色を出すには微妙なコントロールを要するのだろうがそこまで到達するのは一体いつの日だろうか。

 

そう言えば寺田寅彦に『「手首」の問題』というエッセイがある。擦弦楽器の演奏者は弓を通じて弦の振動を制御するのだが、この弓を制御するには手首の柔らかさが重要であると説いている。この「手首」は人間と機械の間のインターフェースを象徴する言葉であろう。寅彦はこれを敷衍して人間‐機械だけでなく人間‐動物や個人‐組織の間、さらに研究教育の場における「手首」の問題にまで及んでいる。

 

習い始めたばかりの私が弾くと単なる音の連なりでしかない一節が、師匠が弾くと一つ一つの音が生き生きとした意味をもつフレーズになる。これから連想するのは、数学の本を読んで論理や計算は辿れても全体として何をしようとしているのか、何のためにこんなことを考えているのか見当がつかないという場面である。こんな疑問が講義中の余談やセミナーでのちょっとしたヒントで解消した経験も多くの人にあるのではないだろうか。硬い論理が支配するかのように見える数学も、その本質は柔らかな手首によって伝えられるように思われる。長い間教壇に立っていた私も久々に生徒の立場に身をおくと、この「手首」の柔軟さの意味が改めて身に染みて感じられるのであった。